2017.12.12
日本人の暮らしと住まいに学ぶ
 障子のある暮らし(前編1)

     浅野平八

 

日本人の住まいと生活について、読者の皆さんといっしょにタイムマシンに乗って、行ったり来たりしながら見ていきたいと思います。

 まずは現代の石川県七尾市田鶴浜へ移動。

この地域は戦国時代からの歴史を持つ木製建具で有名です。小さな神社の前に着きました。拝殿の玄関は、床から天井まで大小7枚の建具を組み合わせた壁となっています。

一つずつ順序良く取り外していくと、おー、柱だけの開放的な玄関になりました。この大胆な変化を、精緻な建具が可能にしているわけです。

 「あれ、障子の話では?」と思った方もおいでですね。

 では一気に平安時代前期へ。この時代は、衝立・屏風・襖なども障子の種類とされていました。障壁画を描いたり、室内に障りをつくったりするものの総称が障子だったのです。

 平安時代後期に行きます。障子の一種に紙を貼っていますね。明かり障子、紙貼り障子ともいわれる、採光を目的としたもののようです。紙を貼っただけでは当然のことながら雨にも弱く強度的にも脆弱です。なるほど、蔀戸や雨戸を障子の外側に取りつけています。また障子紙に油を塗って唐傘のような防水にしています。油障子とか雨障子と呼んでいるようです。

 銀閣寺が見えます。室町時代のようです。書院造りで有名な銀閣寺東求堂同仁斎。障子をわずかに開けて外の景色を一幅の掛け軸に見せるしつらえです。京都の町家などに見る、障子を袖壁に引き込んで坪庭と一体となるしくみなど、現代でも魅力的な、自然と一体となって暮らす日本の住まいの源流です。

 おや、文明開化の音がします。明治に入りました。洋館にはガラス窓が入っています。しかし日本でガラスが大量生産されるのはもう少し後。明治末期だと、木の枠にガラスをはめた障子(吾妻障子)が、一般住宅にも使われ始めていますね。

 大正4年です。夏目漱石が「硝子戸の中」という随想を書いています。「小さな私と広い世の中を隔離している此の硝子戸」という洒落た一節があります。

 ガラスの普及は意外にも、内と外が連続する趣きを大切にする日本人の暮らしにぴったりでした。そして、ガラス戸と紙貼り障子の組み合わせが出現します。また、磨きガラス(曇りガラス、すりガラス)を取り入れることで、個性的なデザインのガラス戸を生み出しました。

 昭和まで戻ってきました。障子とガラス戸は、和風と洋風の代表として対決しているようです。

 戦後は洋風住宅優勢。採光や視線の調整には、窓辺のカーテンが普及しています。ガラス戸~レースのカーテン~厚地の遮光カーテン、という組み合わせです。レースのカーテンにはハイカラなイメージがありましたね。宮殿にあるような厚地の重たいカーテンはステイタスそのものでした。カーテンは椅子の生活とともに日本の生活に浸透しています。

 平成に戻ってひとまず旅は終了です。現代の住まいは、和洋折衷の窓周りですが、障子を取り付けるだけで、凛とした日本人の暮らし方がよみがえってくる気がしませんか。

(続)

 

 

本稿は一般財団法人 生涯学習開発財団 発行「生涯学習」に、2013年4月から2015年3月までに連載された「日本人の暮らしと生活」を加筆・修正をして再録したものです。 写真・資料等は当方にて入れ替えております。

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